昨日、ひょんな事からネット上から飛び込んできたこの情報。
多分知ってる人は少ないですよね。
アメリカの大手、ホビーシャーク/ホビーピープルの創業者です。
ここまで言っても知ってる人はいないかな。
ホビー業界でアメリカの大手といえば
ホビコとホライズンですが、ナンバー3がホビーピープル/グローバルだったんですよ。
先月、会社も閉めちゃったようですから過去形です。
OK模型は、1975年にホビーシャークと総代理店契約を結ぶんですが、
当時は南カリフォルニアにある1小売店で通信販売で大きくなり始めていた会社だったんです。
私は1977年16歳の夏、7週間ベンダーさんのところでホームステイさせてもらったんです。
ニューポートビーチのビッグキャニオン。
当時、彼は35歳。小学生の娘さんが2人の家にゲストルームを作って迎えてくれたんですよ。
楽しかったですね〜。
当時、ちょうど2号店のリバーサイド店のオープン準備をしていて
毎日、車で1時間20分かけて一緒に新店の準備に行ってました。
息子のいない彼は、息子のように接してくれたんですよね。
娘二人の今となると、すごくわかる気がします。
当時、私の母親が小売店「アサヒ」をやっていたので
模型店の内容は理解していたのでパクトラの塗料や接着剤、
モノコーテやエンジン、プロポを
棚に並べるのは、説明聞かなくても出来たんですよ。
楽しすぎましたね。
近くのリバーサイドサーキットにも連れてってもらった。
そして、その年にはラッキーにもカリフォルニアでNATSがあったんですよ。
全米大会です。
せっかくだから参加しろとエントリーしてくれた。
NATSのサーマルグライダー大会ですよ。
参加者108人。
全5日間砂漠の中で12ラウンドの大会です。
長かったけど、あっという間。
モーテルに滞在して、
朝は毎日$1.89のエッグマクマフィンにグレープジャムを塗って食べてたな。
昼は、クーラーボックスに食パンとハムとマヨネーズを入れて毎日同じ。
ホンマに砂漠の中で良く5日間の競技会に出てたと思う。
機体は、日本から持って行ったQB2500。
参加者の中には、F3B世界選手権者のスキップミラーがいましたね。
ロン毛で金髪のお兄ちゃん。かっこ良かったなー。
その時は、エアトロニクスの新製品
リーレナウド設計のグランドエスプリで出場してました。
斜めのリブ組に黄色の透明モノコーテ貼りがかっこ良かったな〜。
12ラウンドで1度だけ同じグループでの飛行だったのよ。
そのラウンドは、ラウンドトップ10に入れたんですよね。
天にも昇る気分ですよね。
でも最終結果は102位だったかな。
最高の思い出です。
その後、私が大学在学中にEZ工法の完成機を開発するんですが
むちゃくちゃ喜んでもらった。
当時、EZ機は模型業界の革命でしたからね。
ほどなくして、大学を卒業した私は、
初めて設計したの量産機体「EZ1700』を持って、営業に行くんです。
テスト飛行で木の上に難着陸。
その時の言葉が、「テストで落ちた機体は売れるんだよ」
で、その時の注文が、桁外れ。
1200機ですよ。初回注文でですよ。
嬉しかったですね〜。
ポールもわかっていたからご祝儀だったと思うんですけど
本当に嬉しかったな。
その後も、ファミリーサイズの棺桶にサンプルの機体を多数詰めて
年に3〜4回はホビーシャークに行ってました。
OK模型が世界的に知られる会社になったのは間違いなく
ポールのおかげです。
若くして、糖尿病でほぼ失明状態になり、肝臓も壊しているのは
知っていたんですが、商売を継いだ次女の婿のマットに展示会で会うと
元気に釣りしてるよと言ってたんですよね。
で昨日、ホビーピープルのWEBでゴーイングアウトオブビジネスセール案内を見て
ハッと気づいた。
フォローしているツイッターのつぶやきがない。
ググるとこの情報にぶち当たったんですよ。
びっくりです。
悲しすぎます。
12月30日だったようです。
そういえば先月ポールの夢を見たんですよね。
その時は、年取ったんかな。昔が懐かしいと思ってました。
ご冥福をお祈りします。
ポールのおかげで、私は多数の業界のレジェンドとも会えたんですよ。
また改めて、そのことは書きましょう。
1982年4月のトレドショーですね。
EZタロンを発表した時の写真です。
会場は、今のエクスポセンターじゃなくって
川の向かいにあったアイスホッケー場でしたね。
懐かしいなー。
年寄りです。はい